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パパの子育て体験記

パパの子育て体験記

理論派・実践派、各界の著名人が、それぞれの「男の子育て参加」実体験を率直に語ってくれました。
どんなときも、あきらめない。そんなおやじの姿をみせ続けたい。

飯田 覚士
(元プロボクシング世界チャンピオン)

PROFILE(いいだ さとし)
1969年名古屋市生まれ。岐阜経済大学在学中にTV番組『天才たけしの元気が出るテレビ』ボクシング予備校に参加。91年プロデビュー。94年日本スーパーフライ級王座獲得後、97年WBA世界スーパーフライ級王座に。二度防衛後、99年引退。通算28戦25勝2敗1分け。現在、テレビ、ラジオ、舞台で活躍するとともに、ボクシングジム開設準備中。

飯田 覚士

 二人目の子が生まれた時は、世界チャンピオンになる六日前でした。チャンピオン挑戦に二回失敗し、もう後がないという切羽詰まった状態。しかし体調はよくなく(肩のけが)、練習も思うようにいかず・・・・・。そんな時に、マネージャーを通じ「もうじき産まれそう」との知らせ。頭は試合のことでいっぱい、体は減量でフラフラでしたが、すぐに着替えて病院に向かい、一人目と同じように出産に立ち会いました。

 一人目のときより難産でしたが無事出産。「かみさんは、一生のうちで一番の大仕事を立派に成し遂げ子どもを産んだ。次はおれがチャンピオンになるしかない!」と気持ちが高ぶってきました。こんなエネルギーをもらったおかげで、全力を出し切ることができ、世界チャンピオンになれました。

 現役時代は、家の中にはトロフィーも賞状も置かないようにしていました。家庭の中に仕事、すなわちボクシングを持ち込まないようにしていたのです。ボクサーの子、世界チャンピオンの子、といった特別な環境でなく、ごく普通に育ってほしかったからです。減量中で、ぼくの食べる物はほとんどないときでも、食事は四人でテーブルを囲みました。おやじがボクシングをやっている影響で、変にまねして友だちをたたいたりしないかと心配していましたが、それはまったくありませんでした。ボクシングはけんかではないことを、子どもなりに、理屈ではなく直感的に理解していたようです。

 最後の防衛戦となってしまった試合には、子どもたち(当時、三歳と一歳)も見に来ていました。試合の前半で肩のけがが再発、脱臼。まったく片腕だけでの試合となってしまいました。普通ならそこでドクターストップですが、ぼくには「もう片方の腕があるんだ」という気持ちが強く、試合続行をアピールし、認めてもらえました。結局、最終ラウンドまで戦い、当然、判定負けしました。

 なぜ、そこまで戦ったか。将来、子どもが試合のビデオを見たときのことも含め、子どもに恥ずかしくない試合をやり遂げ、負けは分かっていても、投げ出さない、あきらめないおやじの姿を見せたかったのです。

 引退後の方が、現役当時よりも家族の中にいる実感があります。やはり現役時代は、ボクシングという、かみさんでも近づきがたい厚い壁がありました。理解し協力してくれるものの、直接はなかなか立ち入れない世界でしたから。いまならぼくもいろいろかみさんに頼み事をしたりして、一緒に仕事をし、家庭をつくっている感じが強いです。

 現在、ボクシングジム開設準備のためにぼくだけ離れた生活をしていますが、たまに帰るとまず、おやじ不在で生意気になっている息子たちにガツンと言うところから始まります。それでも一緒にいる間中、子どもたちは張り付いてきます。これからも、おやじとして怖く厳しい存在であり続けるつもりです。

資料:月刊こども未来

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