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パパの子育て体験記

パパの子育て体験記

理論派・実践派、各界の著名人が、それぞれの「男の子育て参加」実体験を率直に語ってくれました。
歩けなくなった息子にわびた日。そして今、わが子を心から尊敬する日々。

塚原 光男 (体操指導者)

PROFILE(つかはら みつお)
昭和22年東京都生まれ。45年日本体育大学体育学部卒業。跳馬の「ツカハラ跳び」、鉄棒の「月面宙返り」などの大技を編み出し、43年のメキシコ大会以後、オリンピックに3回出場し、合計5個の金メダルを獲得。「体操ニッポン」の黄金時代を支える。57年現役引退。現在、朝日生命体操クラブ総監督として後進の指導にあたり、全日本社会人体操競技連盟副理事長なども務める。千恵子夫人(旧姓小田)は体操コーチ、長男・直也氏は体操選手。

塚原 光男

 直也が生まれたのは私と妻が三十歳のとき。妻は私の「光」をとることを考えていたが、私は「素直な子どもに育ってほしい」と「直也」と命名した。そしてスポーツマンで、健康で、たくましい心と優しさをもった人間になってもらいたいと心から願っていた。

 直也が一歳の頃、親であることを強烈に認識させられた思い出がある。当時、私たち夫婦は大変忙しい毎日を送っていた。選手活動を続ける現役の私。全日本レベルの女子監督として情熱的にコーチ活動をする妻。私たちは二人とも海外遠征に出るために、長崎の妻の実家に直也を三か月ほど預けた。

 帰国して長崎に電話すると、「直也が歩けなくなった」と、実家の母。私たちはびっくりして長崎に飛んで行った。直也は生後十ヶ月で歩き始めている。それが急に歩けなくなるなんて・・・・・・。実家に着き、私たちの顔を見た直也は大喜び。でも立つことはできない。何か悪いとんでもない病気にでもなったのか。ともかく医者に診てもらわなければと、近くの整形外科医院で診察を受けた。しかし原因はわからない。

 「大きな病院で診てもらったほうがいい」ということになり、大学病院に連れて行った。ドクターは直也の足を調べて、しばらく考え込んでしまった。そして「立ってごらん」と。でも直也は立てない。ところが「よし、注射をしよう」とドクターが言ったとたん、なんと直也はすごい勢いで、診察室の隅まで走って逃げて行った。ドクターは大笑い。私たちはだたびっくり。直也の逃げっぷりがあまりにも見事だったので、私たちは顔を見合わせた。そして笑いながら涙が止まらなくなった。

 「大病でなくてよかった」「そんなにさびしい思いをさせていたのか、すまない」。ドクターが言うには、「最初は本当に足をひねって傷めたのだろう。それが治ってからも、さびしさのあまり、足の痛みを装っていたのだろう」と。小さな子どもは、さびしいときは体で信号を送る。熱を出したり、おなかが痛くなったり、歩けなくなったり、元気がなくなったり・・・・・・。直也の足もそんな信号だったのだ。「二度とこんなさびしい思いはさせない」と心に誓った。

 小学校五年になるとき、「オリンピックに出て金メダルをとりたい」という決意のもとに、体操競技の世界に入った直也。私が勧めたわけではない。本人の意思である。うれしい気持ちと不安な気持ちで複雑な心境だった。しかし、スポーツに熱中することのすばらしさを、自ら体験している私としては大歓迎であった。「直也の夢を実現するため、どんなことでもしてあげよう」と決意を新たにした。直也はその後、国際レベルの実力を身につけるに至っている。

 私は直也という人間を心から尊敬している。これほどまでに一つのことに熱中し、努力する人間は、そうはいない。直也との出会いは、私の人生最大の幸福である。もちろん、妻との出会いの結果でもある。最近、とくに思う。「私のこれまでの経験は直也のためにあったのではないだろうか」と。

資料:月刊こども未来

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