トップ > 子育ての知恵・読み物 > トップインタビュー「子育てする人へ」 五味 太郎

子育ての知恵・
読み物

トップインタビュー
「子育てする人へ」

トップインタビュー「子育てする人へ」

根本的本能が、一番大きなエネルギー 五味太郎(絵本作家)
 
トラブルは不得意から起こる!
女の人にはこの手があった!!赤ちゃんができるということ。  社会のトラブルというのはね、どうも不得意なやつがやってるから起こるんだよ。。例えば交通事故だって考えればわかる。 運転、不得意で向いてないってことが、事故につながったりするじゃない。練習すれば得意になると思ってるのね。でも、どうも違うな。 僕が今人生がとっても楽チンなのが、一緒にやっているやつがみんな得意なことしかやってないの。お金の細かいことやるのが大好き!みたいな税理士さんとかね。 カメラマンも、自分はこういう写真が大好きで得意なんだってわかってる。そういう人は、得意じゃないことは「そういうのは、あんまり」ってすぐ断ってくれる。 「そんな面倒な仕事、よく好きだね」って人が、どっかにいるんだね、これが。人の洋服畳むのがすき、とか、掃除が大好き、とかね。「ええ。もう、ご飯よりも大好きで」なんて。 その、得意な人が得意なことを得意のまんまっていう形のネットワークがあると、トラブルが起こりようがない。仮にトラブルが起こっても解決の方法はすぐあるわけよ。 「ここで無理してますよね」っていう話が出て、どこを変えればいいか、すぐわかっちゃう。
▲Page Topへ
得意な人は頑張らない
 得意なことをやってると、極めたくなったりするんだよね。人に料理作るの大好きなおばさまが、「焼き魚が、思ったようにならないんですよね」みたいな。 でも、これは「頑張ってる」のとは、ちょっと違うわけだよ。思わずそう、やっちゃうって話でさ。もっと言っちゃうと、「頑張る」ってことは、「向いてない」って意味なんだ。簡単なメカニズムなんだよ。 頑張らなくて得意なことは大歓迎っていうやり方でお店を出すと、これ、限りないよ、人生の楽しさって。
▲Page Topへ
不得意を頑張る原因
 逆にいえば、今、いかに世の中、不得意なことを頑張ってやってる人が多いかっていうこと。トラブルも当然、起こるよ。 なんでそんな不得意なこと頑張ってるかというと、今の初等教育が、状況にあわせる人をつくってるから。その子にあう幼稚園、じゃないわけ、幼稚園にあう子、をつくる。 小学校も中学校もずっとそう。学校に自分をあわせちゃうから、自己発見がなかなかできない。自分は何が得意か、何が向いているのかを見つけられない。 いろんなタイプがいるのに、ひとつの形に自分をあわせている、この不幸が、いろんなところに影響してるわけ。
▲Page Topへ
不得意なことには用意がない
 初等教育っていうのは、本来、自分に何が向いているかを発見する場なんだ。僕は子どもの頃から、なぜかそういうふうに思ってた。 親も、そう思ってたから、点数が悪いと「あなたに向いてないわよね」「うん、パスだな」って。「頑張りましょう」なんて全然思わなかった。 精神とか脳は、頑張れる、まだいけるって思っても、その用意がもともとなければ、無理なんだよね。 例えばバスケットでいうと、マジック・ジョンソンは2mあるんだよ、俺は170cmいくかいかないかで、はじめからハンディキャップがみえてるわけ、だからバスケ部のやつは、俺を勧誘には来ないよな。 どんなに頑張って鍛えたって、俺が2mになるわけない、これと同じなんだよ、用意がないってことは。
▲Page Topへ
得意なことには用意がある
 用意されてないものっていうのを、やるっていうのは自然には起きないんだよ。外圧でくるんだよね。たとえば、跳び箱っていうのはなんだったんだろうって思う。 跳び箱跳んで、人生何を得するんだろう、一体役に立つのかなって考えると、今の初等教育の本質がわかるよ。 僕なんか得意だから、あんなもんあったらぴょんぴょん跳ぶんだよ、なくても跳ぶくらいで。でも、不得意な人は、発想がないんだよ。 ああいうとこに走っていって、足をぱっと広げて、向こうに行く、っていう。必然が、その人のなかにないの。 それを、みんな、跳べるようになりましょう、根性と努力で頑張りましょう、なんて、泣いちゃうよ、それは。学校が不得意なことを克服してでも、全体にあわせろというビジョンでやってる以上、根っこのところがわかんなくなるのは当たり前だよね。
▲Page Topへ
他人がほめるのは根源じゃない
「薔薇の木に薔薇の花咲く、何の不思議か」。不思議が基本だよね。  頑張ってできるようになった、克服したっていう達成感がいいものだと思っちゃうのも、インプット。ほんとうは、無理してるんだよ。「よくやった」ってほめられるのは、いいことだよ、間違いなく。 でも、先生がほめるのは、たとえばお母さんが根源的本能的に喜ぶのとは違うんだよね。その差はよくわかんないよ、子どもには。先生も本能的にほめてくれてるような気がしちゃうわけ。 そういうふりをするよね、先生は。うちの上の娘が、学校切れたのはそれだったんだよ、彼女、高校入ったばっかりのときに「あなたのこと、こんなに心配してるのに」って、先生に言われて、「なんで? あなた、他人でしょ、って言っちゃったー」って、頑張って入った学校だったけど、その日に、やめちゃった。
▲Page Topへ
セックスは肉体の必然
 今、結婚も出産も、トラブル多いんだとすれば、やっぱり、不得意な人がやってるんだと思うね。もっというならば、セックスの必然なんか全然ないのにやってる。 セックスっていうのは、肉体の必然なんだよ、社会的にそろそろ結婚しなきゃ、って相手探して、結婚したら、子どもが生まれるのが「ふつう」だからセックスする、こんな馬鹿なことって、有り得ないんだよ、肉体からいうと。 でも、社会的にはそれが「ふつう」で、問題ないことなんだよね。そのギャップに苦しむわけだよ。社会的にこれほど盛り上がった結婚式、新婚旅行だったのに、この喜びのない実際はなんだろうか、っていうことね。
▲Page Topへ
女の人には、このテがあった!
 自分の得意なこと、好きなこと、自分の基本的にやりたいことやってない人が、50%超えてる社会で、もうズレてきちゃって、戻れないんだから、俺なんかは、じたばたしないで、次の世代に期待する(笑)。 下の娘には、意表つかれたね、いや、見事だったよ。ニューヨークで仕事してたんだけど、ひとりで頑張って、いきづまっちゃったなという感じになって、戻ってきたんだ。それが数年前だよ。そしたらある日、「赤ちゃんができたー」なんていってきた。 おお、意表つくなあ、みたいな。お腹大きくなって「なんかこれイケそう」っておだやかな顔をしてたのね。心と、体がととのった、という感じ。そのとき、ああ、すごいなあ、と思った。女の人ってこのテがあったなあ、って。 当人もこのテがあったんだなあ、みたいな感じで、こともなげに赤ちゃんの世話してる。男にはこのブレイクがないんだよね。それで、ちょっとわざとらしいブレイク作ったりしながら生きてるんだよ(笑)。
▲Page Topへ
テムズ川のほとりで娘と
 上の娘は今、ロンドンにいるんだけど、俺が向こうへ寄ったときにテムズ川のわきのバーかなんかで、ふたりで座ってると、「ああ、この子、なんだろう、誰なんだろう」と思うわけね。 「なんか得したな」って感じかな。でも、そういう話、絶対しないで、「またねー」って別れるんだけど、しばらくぼーっとしちゃうよね。それで帰ってきて、7歳の息子とそば食べてると、「ここのおそばはまずいね」とか生意気に言うわけだよ。 ついこの前まで、自分でご飯食べることもできなかったやつに、急にそんなこと言われてもなあ、みたいなのがあるわけじゃない。そういう全部を含んで、人生って不思議だなあと思うし、同時に豊かだなあと思う。
▲Page Topへ
不思議なものなんだ、だから楽しみ
 その不思議を、理解できるかっていうことがまず基本だよね。立花隆が『宇宙からの帰還』をまとめたときに、科学がここまできた、といいながら、今の時点で、 「今」というのがいつで、ここがどこで、私が誰なんだろう、という3つの命題はひとつも解決してないと思った、っていうんだけど、全部を理解しようとしても無理なんだよね。亡くなった友達がいて、生まれてくる子がいる、 これ、理解しようって話じゃないぜ(笑)。2+3は6じゃなくて、5だっていうのは、「理解」じゃなくて「現象の把握」だよ。だから、これは不思議だって、把握できればいいんだよ。しっかりわかりません、って言えばいい。 花がなんで咲くのか、いまだにわからないんだけど、ただ、ある詩人が「薔薇の木に薔薇の花咲く、何の不思議か」って。不思議が基本だよね、それって、なかなか味わい深い不思議だよねって。だから、また明日が楽しみだっていう話だよ。 いい年して、何言ってんだろうって言われるかもしれないけど、今でもそう。今日はなかなかよかった、明日が楽しみだ、ってそういう感じだよ。
おわり
▲Page Topへ
Back