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父は私に常に大きな目標を設定し、それを達成するためなら自分の好きなことも後回しにする、そういう考えを母も支えていました。 私がまだ十代のころ、中国は文革最終期で、西洋文化に触れることはまずないといった時代、父はどこからか古いバイオリンを手に入れてきてくれました。当時は楽譜などもちろん入手できませんでしたから、六年間、借りてきた楽譜を手書きでノートに写してくれました。その手写しノートが現在も三十数冊残っています。そして、蘭州から片道三時間かけてバイオリンのレッスンに通う列車の旅は、父と私のかけがえのない親密なコミュニケーションの時間となっていました。父はその時必ず、世界の文学作品、偉大な人の伝記や名言、名作を繰り返し話してくれたものです。また、そのころ、中国の民族楽器である二胡をやっていた父は、西洋音楽を目指す私のために、民族楽器の音階を耳に入れない方がいいと、しばらくの間二胡をやめていたほどです。 このように両親からさまざまな形で示された親としての責任感は、私の中にも自然に受け継がれ、今娘を育てるときの土台になっています。
その後、自分の練習室の譜面台の下に娘の居場所を作りました。そして一曲終わるごとに娘に声をかけながら練習をしました。まだ言葉も十分でない娘と、音楽をまじえての楽しいコミュニケーションの時間でした。また、娘をいつもコンサート会場に一緒に連れて行くようにしました。娘はスタッフたちにすぐに打ち解けました。そこでプロの仕事ぶりというものを幼い目に焼き付け、また、本物を見極めるプロの眼識のすごさも子どもなりに見ていたようです。 テレビゲーム全盛の昨今ですが、娘はそんなゲームが好きではありません。「少しくらいゲームをしてないと、友だちと遊べないんじゃないの?」と夫は心配顔ですが、娘は「平気だよ。ゲームをしていると話ができないし、ゲームも面白くないからいいの」とケロッとしています。 そんな姿を見ていて、自分がよしとすることを捉えられるようになったんだと思うと同時に、本物を見極めようとするプロ的な意識の芽生えも感じられて頼もしく思います。 できるだけ娘と一緒に居られるように工夫する形で自分の思いを伝えてきたことで、言葉だけではないコミュニケーションがはかれていたのだと思います。 (談) 資料:月刊こども未来 |
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