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「男の子育て」、ご意見番

「男の子育て」、ご意見番

父親にとって「子育てにどう関わるか」は重要なテーマ 「男の子育て」について、父親、母親の立場から、男性と女性に「ご意見」を伺います


子育て、弟子育て、人育て。どう向き合うか、どう影響を与えられるか
宗 由貴 (少林寺拳法グループ総裁)

PROFILE(そう ゆうき)
 1957年香川県生まれ。1980年少林寺拳法の創始者である宗道臣氏の跡を継ぎ第二世宗道臣を襲名、少林寺拳法師家となる。 2000年少林寺拳法グループ総裁に就任。2003年には30年にわたる少林寺拳法グループ関係団体の日中友好事業が評価され、中華人民共和国政府から国家友誼賞を授与される。

宗 由貴

娘も弟子も同じ土壌でともに育てた父

 私自身、出張が多く、世の父親族と同じような状況でしたから、日常の子育てはほとんど私の母親に頼っていました。 でも、いま感じているのは決して時間の長さではないということです。父が四十六歳の時に、わたしが生まれました。 当時は高度経済成長期でもあり、時代としても平和でしたし、年齢的にも、父は感情的にならず、考えながら“育てる”ということをしていたと思います。
 思い起こせば父がいつも口にしていたのですが、とても意識的に子育て=人づくりをしていたと思います。 それは、娘を育てることも弟子を育てることも同じ、つまりは“人づくり”ということなのです。 家にはいつも必ず弟子がいるという暮らしでしたので、娘だからということで特別扱いされることはありませんでしたし、子どもだから大人だからという差別もありませんでした。
 言い方も同じですし、求められるものも弟子と同じでした。はしの上げ下げから始まり、すべてにわたって、子どもだからあっちに行ってろ、子どものくせに、などという言葉は存在しませんでした。 小さいころからずっとそうでしたから、わたしには訳の分からない話をしていることもありましたが、とにかくそこにいろと言われるんです。 意味をすべては分かっていなかったけれども、分かる部分もあって、それでよいと父は考えていたようです。 そこにいる、その積み重ねが刷り込まれていって、人間として、いいこと悪いことが判別できるようになる、それが父の教育方針でもあったような気がします。

自然体で、喜び、悲しみを見せて向き合う

 弟子に対しては偉そうに生き方を説いていても、家では何もしないということがありがちですが、父は弟子の前でも家にいても一緒。 いつも同じスタンスを保って人に当たる、相手が弟子でも娘でも同じように自分を見せていくことこそが教育だと考えていたようです。 厳しくもありましたが、いつでも自然体でリラックスしていましたね。 引き出しを開けっぱなしにしてぶつかり、「ほら、また引き出し開けっぱなしにしているからよ」と言えば、「そうか、ははは」と頭をかいて笑える……。 自然体で応対できるんですね。なんだか、かわいくて許せてしまうおおらかさがありました。 子どもを持つ親になって初めて、自然体でそのように人に対峙できることをすごいことだと思うようになってきました。
 背中を見て育つということは、そのような自然体の姿の中から何に喜びを持っていて何に悲しみ、何に怒っているのか、そういうものを見て育っていくということだと思いますね。 「人が集まってくれるのはうれしいことだな」とよく言っていましたが、技術だけでは人は長続きしない、生き生きしている、輝いているから人が集まるんだと思います。
 いま、親になり、また人づくりということを考えたとき、この自然体で、しかも、素の自分で弟子に対しても子どもに対しても誰に対しても同じように向き合っている姿を見せることこそが、大事な人づくりのこつといえるような気がします。

納得せざるを得ない逃げ道を用意してからしかる

 また、もう一つ印象深いのは、しかるときには逃げ道を父自身が上手に作っていたという点です。 家では父がダメと言ったことは、母もダメ、おじいちゃんもおばあちゃんもダメ。 ある意味では逃げ道がないとも言えます。 逃げ道を作っておいたら教育にならない、ダメなことは徹底してダメと言わなければしかってることに意味がなくなる、と言っていたことを思いだします。 しかし、決してダメと言って相手を追いつめるわけではないのです。
  わたしは父に「ここに来て座れ」と言われることが一番怖かったのですが、その次には「なぜ、そうしたのか」と聞かれることが分かっていました。 何も考えないでやってしまったときに一番しかられましたから、理由なくやってしまったことでも何か理由をこじつけなきゃと思いましたね(笑)。
 「そうか、おまえはそう考えるのか、でも、お父さんはこう考えるけど、おまえはどう思う?」結局、わたし自身が、父の方法がいいと納得せざるを得ないような論法です。 「じゃ今度はそうしてみろ」という具合でした。
  追いつめておまえは馬鹿だ、許せないから出ていけ、といったら次がない。 でも、相手に考えさせ、「自分だったらこう思う、もう一回やってみないか」と言われるんですね。 しかられてダメな人間だ、と落ち込ませるのではなく、自分で、やり直そうという気持ちにさせてくれるんです。 ダメという本人が逃げ道を残してくれる。 意味が分からないまま逃げてしまう逃げ道でなく、納得せざるを得ない逃げ道を用意しておいてくれたからこそ、素直に納得することができたんだと思います。(談)

資料:月刊こども未来


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