私の父である池坊専永は、散歩に出ようとすれば、「帽子をかぶって!」「虫がいるから長袖を」など、本当にこまやかな気配りの行き届いた人でした。子煩悩でもあり、公園にもよく連れていってもらいましたし、大人になってからもウインドーショッピングに連れ立ってよく出かけました。
私たち姉妹がアイスクリーム好きなこともあって、父はよくアイスを作ってくれましたが、このアイスの味は懐かしくもあり、今でも甘い思い出の一つです。日常のこんな何気ないひとこまひとこまが親子にとっての大切な心の交流なのだろうと感じています。
このマメな父親を見て育ってきましたので、結婚当初、まったく違う主人の対応に別種の男性像を見た気がしました。主人を見ていて最も強く感じるのが子どもに対して毅然としていること、しかも、合理的でもあることです。例えば、約束したこと、自分で決めたことは必ず守りなさい、ということについて、主人は毅然としています。めったなことではしかりませんが、妥協がありません。その分、子どもたちにとって怖い存在でもあり、また、論理的に生活を組み立てる実地の勉強をしているような気がします。
以前は「勉強しなさい!」とかっかしていた私が冷静になったのも、主人が子どもと話し合っている内容を聞いていたからです。父親は論理的に、今、勉強することがなぜ必要なのか、自分がしたいことと、勉強の時間との配分をどのようにすることがいちばんよいと思うのかを子どもに自分で考えさせます。そしてスケジュール表を作らせ、自発的に取り組ませる、自分で作ったスケジュール、約束を守らせるというやり方です。赤ちゃん時代の手間暇のかかる子育て期よりも、精神的な部分での子育てが男親の本領発揮という感じなのではないでしょうか。
私は、母親として“ほっこりタイム”を大事にしようと思っています。ほっこり、というのは関西弁でしょうか(笑)、リラックスしている時間というか、ほんわかしている、とでも言ったらよいでしょうか。寝る前の読み聞かせもその一つです。
ある時、子どもがリコーダーがないと大騒ぎしても見つからず、結局私が汗水流しながら探し回ることに……。ふと見ると、一緒に探していたはずの息子は、ソファにひっくり返って、マンガを読みふけっている……。見つけ出したリコーダーを手に、私は一体何をやってるんだろ、と、怒りを通り越しておかしくて仕方がなかったことがありました。
今考えると、その時、こうあらねば、とか、こうすべきというような、いっさいの枠がはずれたような気がしました。
枠にはめようとすると苦しくもなりつらくもなります。それでは、怒りたくもなるし、いったい何なの! という思いにもなりますが、怒ったところで始まらない……。子育てには、状況をユーモアで感じ取れるような、おおらかさが必要なのかもしれないと感じました。そのためにも、男親の精神的サポートが欠かせないような気がします。(談)